釣りの遍歴



愛しき「はよっこ」
生まれて初めて、本物の魚に「釣り」という手段で出会ったのはいつだったろうか? もうずいぶんと昔のことなので、とても思い出せるようなことではない。しかし、その鮮烈な印象は忘れようがなく、そのことがあってこそ、今でも釣りを愛好しているのではないかと思うのである。
考えてみると、ボクが幼少のころは、魚を手にするのは、主に「しょうぎ」と呼ばれる竹製のかごのようなものですくい捕ることであった。たいてい動作の速い魚は捕れるはずもなく、そこにはカジカとドジョウがよく入っていた。それでも、たまには「はよっこ」と呼ばれていたアブラハヤや、ヤマメの稚魚などが混じることもあって、ただそのことを喜んでいた。
たしか夏休みだったと思うある日、近所の同級生と一緒に釣りに行った。竿はその子の父親が使っているグラスの振り出しだった。小麦粉を水で練って餌にして、大きな玉ウキを付けた仕掛けをたるみの上流から流した。たびたびウキが沈み、そして静かになった。「餌をとられた」そう言って、彼はまた餌をつけて流した。ウキが沈んで、再び浮き上がらなくなったのを見計らい、彼が竿をあげると、その先には、めったに捕れないと思っていた「はよっこ」がじたばたしていたのである。ボクも、彼に竿を貸してもらい、初めての釣りをした。しかし、うまく仕掛けが流れに入れられない。それでもウキは、小刻みに浮き沈みを繰り返した。胸が躍った。何度か餌を付けなおし、ついに、ウキが沈みっぱなしになった。「あげて」彼の声に従い、竿をあげた。ボクの持つ竿の先には、「はよっこ」が踊っていた。それをつかもうとしたが、なかなか持てないでいるうちに、「はよっこ」は針からはずれて水に落ちた。「おしい!」彼はひときわ高い声で叫んでくれた。つり上げた感覚と、逃したくやしさが、きっと顔を赤く染めていたに違いなかった。興奮していた。魚は捕れなかったが、妙に満足していた。

何日かして、ボクは初めて自分の竿を手にすることになる。おそらく親に買ってもらったものだろうが、振り出しの竿である。えんじ色のそれは、間違いなく安物であったが、その日からボクの宝物になった。言うまでもなく、ボクは「はよっこ釣り」に夢中になった。向こうあわせも甚だしい釣りであった。手放しで楽しかった。時折、10cmくらいのがかかると、引く力も強く、ボクの頭の中では、魚との力くらべをしていたものだった。

渓流デビューと苦い思い
はよっこ釣りに、あきたわけではない。それはそれで、楽しかったのだが、ほどなく「ミミズを使うと、ヤマメが釣れる」という話を聞き、本格的な渓流へと向かった。餌はもちろん、ミミズだ。はよっこの沢から、本流へ向かった。しかし、そこには「はよっこ」のように山ほど魚がいるわけではなかった。そのうえ、大人数でどやどやと押し掛けているのだから、ヤマメなど釣れるはずもない。実に厳しい世界であった。
どういう経緯かまったく覚えていないのだが、同行した友達に、ボクは自分の竿を貸した。少し離れて釣りをしていた彼が突然叫んだ。竿は大きくしなっている。釣れたのは20cmほどのウグイだった。ボクの竿の記録更新である。正直、ボクは困惑していた。次ぎにボクがしたことは、彼に頼み込んでそのウグイをもらったのだ。子供のことなので、道理のないことをならべて、不満げな彼から半ば取り上げるようなまねをして、それを家に持って帰った。そして、祖母や親に見せた。それを手にした方法については、言えなかった。今思えば、家族も半端なボクの態度をみて、ある程度察していたのであろう、特になにも言わなかった。ボクは妹を連れて、貯水池に、ウグイを放した。例えようのない「なにか」がボクの胸に残った。


フライフィッシングとの出会い
ボクの住むところの、いわゆる本流には「ツツガムシ」がいるので、そこへ通うことを両親は心配していたようだったが、すでに日課となっていた。相変わらず、そう簡単に魚は釣れなかった。釣れない日は「はよっこ」に頼るべく、「小麦粉」を持って出かけ、帰りがけに「いい気分」にだけなれるようにしておくのが常になっていた。ボクの記憶が正しければ、役場が主催した釣り大会の残りマスを釣ったやつがいた程度で、まったくヤマメの姿は見ることはなかったのである。
その日、ボク達はすっかり飽きていた。すでに、釣りではなく、竿を振り回しているだけなのであった。そこへ、異様な出で立ちのおじさんが現れたのである。
そのおじさんは、明らかにボク達の想像の域を超えていた。水の中をあるき、ポケットのかたまりのようなチョッキを羽織っていた。当時のボクには、それが釣りをしているなどと、にわかには信じがたかった。特に理解を超えていたのは、リールの付いた竿を持ち、それはひどく短く、そして細い。その竿からは、あまりにも太い糸がぶら下がっていた。そして、時折その竿を前後に振り回し、その度にひゅうひゅうという、なんとも不気味な風を切る音を発していたのだ。そのおじさんは、ボク達に向かってこういった「先に行ってもいいかな?」。どうやら、変わったなりをしているが、日本語は話せるようだ。本来であれば、こういった状況では、矢継ぎ早に質問するのが子供の常だが、さすがに「それは何の釣りなの?おじさん」としか聞けなかったのである。「ああ、これは毛針だよ」とおじさんは答え、風切り音をさせながら上流へと向かっていった。毛針なら知っている。近所の「名人」と呼ばれるおじさんも毛針をするからだ。当然のように、その直後からボク達は「おじさん」の正体を想像することに没頭することになる。もう時効だからいいだろうが、このおじさんはボクらから「某国のスパイ」にでっち上げられてしまったのである。
これが、ボクのフライフィッシングとの初めての出会いだ。今から25年以上前のことだということを考えると、当時に、こんな田舎でフライフィッシングというものに遭遇することは、アル意味すごいことだったのかもしれない。

余談だが、このおじさんが何という呼び方の釣りをしていたか知っていた人は、ボクの周りの大人達でもだれもいなかったことは言うまでもない。そして、このころのKoba少年が、将来フライに手を出し、怪しいおじさんになってしまうことなど、想像することさえできなかったことも付け加えておこう。

だました1匹目
毛針のおじさんとの接近遭遇の後、ボク達の間では毛針が流行った。というのも、たまたま毛糸を巻き付けたくらいの似非毛針を使っていたやつが、ウグイを釣り上げてしまったからだ。水に落ちた毛針に、ウグイがふうっと浮いてきて食いついたところを、ほとんどの者が見ていたのだから、無理もない。そして、みんなが糸の先に妙なものを付けて釣りを始めていたのである。当然のことだが、いっそうヤマメは遠くなってしまうことになり、もはや釣りでないに等しかった。
そんなとき、ボクの手元に、スプーンとスピナーがやってきた。初めて手にするルアーだ。早速ボクは糸の先にスピナーを付けて引いてみた。もちろん、リールもロッドもないから、振り出しの竿にだ。ブレードがくるくると回転する様子を見ているだけでおもしろかったのだが、大きめの石の横を引いてきたとき、突然ヤマメが飛び出してきて、食いついてきた。フッキングには至らなかったが、ボクの手に「ゴン」という衝撃と、水中にきらめきを残して消えた。そしてボクは、ルアーを引くことに夢中になった。ルアーを追いかける魚の姿は、度々見られるようになり、ついに、ウグイを食いつかせることに成功した。ボクはルアーで初めて魚を釣った。20cm程度のウグイでも、とてつもなくうれしかった。



この後、いろいろあって、湖のマス類や、バスをやってみたり、海に走ってみたりと、様々な釣りにトライしてみた。ずいぶんと時間が経ってみたが、結局、一番近所でお手軽に釣れる渓流に向かうようになり、フライのウエイトが最も高くなってきている。思い起こせば、中断していた時期はもちろんあったが、もうフライを始めてから20年近くになり、そろそろ新しい釣りにトライする気力も失せてきたと実感している今日このごろである。かつて、一緒に川へ行き、釣りに夢中になっていた連中は、棒を振り回すのを、川から芝生の上へと移していった者がほとんどで、未だ川辺から離れないのはボクくらいになってしまったようだ。
一つ付け加えておくが、ボクがかつて「愛しきはよっこ」と戯れていた沢は、まだなんとかあのころの風景をとどめており、今でもヤマメを釣りに行くことが少なくない。ただひとつ、あのころと違っているのが、ボクはすっかり「怪しいおじさん」になってしまっているということなのかもしれない。

いかん、センチになってしまった。


Koba's Factory